* p r o f i l e


1981年9月6日生まれ、千葉県市川市出身。
市川市立富美浜小時代は市川FCでプレー。
市川市立福栄中学校に入学とともに市原ジュニアユースへ。
ユースでの2種登録でのJリーグ初出場は16歳10ヶ月30日。
97年からユース代表に名を連ねるが、
予防接種が間に合わなかったりケガをしたりと不運も数多い。
入団して何年かは納得がいかないプレーに度々ロッカーで落涙。
監督が交代するごとにショックで泣いていたという繊細さの持ち主。

2000年9月、右すねの疲労骨折のためワールドユースも見送り2001年5月に手術を敢行。
2001年8月に念願の復帰を果たすと、9月19日発表の日本代表候補に初めて選出された。
2002年5月のツーロン国際大会では左のボランチで5試合フル出場。
9月のアジア大会ではリベロで6試合中5試合出場、結果は日本史上初の準優勝。
そして2003年11月30日発表(東アジア選手権)の日本代表に初選出されたが、翌12月に右第5中足骨骨折が判明。現在でも補強材として右すねと今回の骨折箇所にはチタンが埋め込まれている。
2004年3月アテネ五輪最終予選日本ラウンドはU-23日本代表に復帰、リベロとして3試合出場。日本はグループ首位となり五輪への出場が決定。
2004年7月、アテネ五輪代表メンバーに選出されたが、予選敗退。
代表戦デビューは2005年1月29日カザフスタン戦。
2005ヤマザキナビスコカップではニューヒーロー賞受賞、そしてこの大会でチームは初優勝、
2006でも優勝と2連覇達成。
2005年度・2006年度ベストイレブン受賞。
2007年浦和レッドダイヤモンズへ移籍。
この年のアジアチャンピオンズリーグで、日本クラブとして初優勝。


ポジションは守備的MF。しかし後方のポジションはGK以外すべてこなしたことも。
中盤の底からゲームを組み立て、前線へパスを供給。
右足から繰り出されるFK・CKは精度が高く、世界レベルとの定評が。
その美しく弧を描く独特のプレイスキックを武器に代表定着を狙う。
守備力に加え、前線へ飛び出し自らゴールを狙う攻撃力も備え、日々進化を続ける。


Jリーグ通算214試合出場36得点(2006年リーグ終了時点の記録)
178センチ、75キロ。血液型B型。既婚(2004年7月7日に入籍)、2007年7月19日には第一子となる長男が誕生。


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