出会ったあの人は狂っていた。
もうあの人の顔も声も、思い出せない。

否、本当は少しだけ覚えて居る。

本当に少しだけ。
けれど其れすら霞が掛かったように分からなくなっていく。


あの人は・・・誰なんだろう・・・・・・―――――



                       晩霞繚乱 第一話



庭では桜が静かに散り始めていた。
其の様子を若伽葉はぼんやりと見詰めていた。
暖かな日差しと心地良い風。
風に桜の花弁が踊らされていた。
其れを若伽葉は見詰めていた。
一つしかない、其の目で見詰めていた。
「若伽葉」
不意に呼ばれ、若伽葉は振り向いた。
其処には微笑を浮かべた少年が立っていた。
「少し散歩にでも行かない?今日は暖かいし、気持ち良いから」
若伽葉は暫く思案して頷いた。
そして傍らの番傘を手に取り、立ち上がった。
「本当に其れ、気に入って呉れたんだ。有り難う」
「・・・初めて人から貰ったものだから・・・だよ、雄兄」
微笑する雄刃に若伽葉は云った。
静かで穏やかな、然し何処か怯えのある声で云った。


若伽葉には左目が無い。
元々無いわけではなかった。
家に来た時には確かにあった。
けれど母親に会った後には無くなっていた。
残っていたのは、血塗れの若伽葉と其の母―――華音だった。
何があったのか、他の者には分からなかった。
其れ以来、若伽葉は人に恐怖を覚えまともに会話すら出来なくなった。
一族の人間に対しても。
其の傾向は今でも多少残っている。
一族に対しては恐怖を殆ど感じなくなった。
然し、京には未だ近付けない。
怖くて、近付けないのだ。
「もう春だねぇ。桜を見るのは初めてだけど、綺麗なモンだね」
桜を見上げながら雄刃は呟いた。
若伽葉も見上げていた。
桜は静かに舞っていた。
音も無く。
「若伽葉」
「何?」
「華音さんの事・・・何か思い出した?」
不意に雄刃は聞いた。
若伽葉は一瞬目を見開いて、やや間を置き首を横に振った。
「何も・・・」
「そっか」
若伽葉は母親の事を覚えていなかった。
名前も顔も声も・・・・・・何一つ。
其の事を知ってから、雄刃は若伽葉に少しずつ思い出させようとしていた。
其れでも、若伽葉は殆ど思い出せなかった。
そして彼は母親を『あの人』としか云わなくなった。
「でも・・・未だ時間は沢山あるからね。少しずつで良いから思い出せたら良いね」
雄刃は笑った。
「・・・何でそんなに思い出させたいんだ?あの人の事」
「だって君のお母さんじゃないか」
「あの人は・・・俺を・・・・・・」
其れきり俯いて言葉が続かなかった。
「分かってるよ。でも華音さんが君のお母さんである事は本当だから」
だから
「思い出すんだ、其れがどんなに辛い事でも」
少し強い風が吹いた。
桜が宙に舞った。
花弁が擦れる音がした。
其の音は・・・啜り泣きのように聞こえた。


長いような短いような散歩を終えて二人は家路に着いた。
他愛も無い会話をしながら二人は歩く。
家の手前でふと若伽葉は立ち止まった。
「如何かした?」
不思議に思った雄刃は声を掛けた。
若伽葉は何か云いたそうな顔をしていた。
「云いたい事があるならちゃんと云わなきゃダメだよ?」
雄刃は優しく云った。
若伽葉は静かに言葉を紡いだ。
ゆっくりとゆっくりと言葉を紡いだ。
「雄兄・・・」
「何だい?」
「俺・・・雄兄に嘘をついた」
少しだけ怯えた声で紡いだ。
「全部忘れたわけじゃないんだ」
桜が舞った。
「本当は、少しだけ・・・ほんの少しだけ覚えて居るんだ」
傘に一片舞い降りた。
「なぁ・・・雄兄」
「ん?」
「あの人は・・・俺に何て云ったんだろう・・・・・・?」
死ぬ前に
「俺を部屋に呼んで」
何かを
「云った気がするのに・・・」
何かを
「思い出せない」
そう、まるで・・・―――――
「まるで・・・あの人が全部持って行ってしまったみたいに
 あの人の事だけ覚えてないんだ・・・・・・殆ど」
「・・・・・・そっか」
辺りは夕暮れ時。
夕焼け色の桜が風に舞う。
まるで炎のように。
まるで・・・・・・・・・涙のように。


あの人は・・・俺に何を見たんだろう?
何故あんな事をしたんだろう?
何故あの人の事だけ覚えてないんだろう?

あの日・・・
あの人は・・・・・・何を云ったんだろう?

何故俺は人が怖いんだろう?
何故?

何故なんだ・・・?


誰か・・・・・・・・・誰でも良いから・・・
教えて欲しい。
そして・・・・・・・・・どうか・・・――――――――――









































































助けて。





第二話へ

久々に表の(ダメ)小説ですよ〜。
今回はうちの一族の後半戦くらいの子達です。
主人公は若伽葉(わかば)のつもりです。一寸訳アリな子です。
拳法家なんだけど極度の寒がり。右目のみ。母親の記憶が無い。自分でも何故か分からない。
何で人が怖いのかも分からない・・・という子です。
左目の行方は追々書いていきます。
そして若伽葉の保護者が雄刃(ゆうは)。薙刀士でぽややんで次期当主。
とりあえず現在の目標は若伽葉を社会復帰させる事。
つまり京に行く事。
行けるでしょうか?
・・・・・・では、未だ続きます。
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