ただ、虚ろにそれを見ていただけ。
深い意味など、特に無く。染み付いてしまった癖の一貫のように、いつものように。

だけど、それすら、彼の不可解な精神は、ひどく納得できていないようだった。





揺らぐ蜘蛛糸





「……トナ!エトナ!!」
「あっ?はっ、はい。なんだぁ殿下じゃないですか」
いきなり、相変わらず荒げた餓鬼の声で、エトナは現実の世界に戻された。
はた、と横を向けば、そこにはクソガキ…いや、今自らが仕えている俺様至上主義魔王・ラハールの姿があった。
僅かに息をぜいぜいと乱れさせている。先程はいきなりと言ったが、どうやらそうではないらしい。このラハールの様子では、かなり前から名を呼ばれていたようだ。それもこの大音量で。
それすら気付かなかったのか、とエトナは少々自らの気抜けに反省をした。幾らボケーッとしていたとはいえ、流石にこれに気付けないようでは、後々色々と手間取りそうだ。
「『なんだ』とはなんだ!!エトナ、貴様先程から何度も俺様が読んでいるというのに…!」
「あー、そうだったんですか?いやーすみません、ちょっとぼーっとしてまして」
案の定、予想通りの言葉をぶつけてきたラハールを、エトナは平謝りで軽くスルーして、ぷいっとラハールから視線を逸らす。
自分の世界に戻って、ハッと気付けば、耳がまだちょっとキーンとしている。それはこのラハールの叫びのせいなのか、はたまた脳を動かしていなかったせいなのかは、もう良く分からない。さっきはどうしてぼーっとしていたのだっけ、と呻いて考えて見せて、そうだとやっとのことで思い出す。
「エトナ!!貴様、俺様の家来のくせして頭が高……」
「そーだ。あたし、この絵を見てたんだったっけ」
「はあ?!」
いきなり、手を合わせてエトナがそんな事を言うので、ラハールは言われるままエトナの言う『この絵』をギロリと見据えた。
エトナに無視された事でご立腹なラハールだったが―――エトナのいう、『この絵』を見て。怒りで歪んでいた表情が、スッと変化した。



「………エトナ。お前、またこの絵を見ていたのか」



「………いけないですか?」
「……いや」
ラハールの、呆れたような、はたまたちょっと寂しそうな、そんな複雑な声色の言葉に。エトナは咄嗟に、そんな素っ気ない言の葉を返す。
先程まであれ程に怒り心頭していたラハールの様子は、すっかり冷めた様で、半目でじとりと絵を見据えている。エトナの視線もまた、その絵に向いている。二人の視線が注がれている、その絵は―――ひどく煤けて、尚且つ、ひどく存在感を醸し出していた。
「……父上の肖像画など見ても、つまらん」
そう、それは、ラハールの今は亡き父、クリチェフスコイの肖像画。生前の彼と同じ様に、それは今も尚この城に、消えない存在感と威厳とを残している。
白と黒だけで描かれたモノクロのそれは、永きに亘る年月を経て、すっかり風化して全体的に黄ばんでいる。そっと触れて撫でて見せると、ひどくざらりと音を立てて、インクの固まったカスがぼろぼろと僅かに零れ落ちた。
彼のを崇拝するかのように尊敬していたエトナにとっては、例えこんな古ぼけた肖像画であっても、れっきとしたクリチェフスコイの面影代わりのようなもので。彼が死んでからも、しばしばこの絵を見ては、やんわりとあの敬うべき猛き魔王の姿を思い起こしていた。
けれど、そんなエトナを、何故かいつもラハールは不機嫌そうな様子で、いつもじとりと見守っている。
それは、今日もまた然り。
相変わらず、今日もラハールはこの絵絡みになると、あからさまに怒りはせずとも、とっても不機嫌になっているようだ。
「じゃあ、見なければいいじゃないですか?」
「…お前が見ているから、俺様も付き合ってやっているのだ」
「理由になってませんよ、殿下」
からかうように言ってやると、低い声色でそんな理不尽なことを言い出す。彼がこの絵が嫌いな事は重々承知の上だ。その意味は、今も良く分からないけれど。
彼が父に反発ばかりしていたせいなのかとも思ったが、不思議とそれとは違うようにも感じる。何分勘なので証拠はないが、彼が生まれた時から、認めたくは無いが腐れ縁のように共にいる身。分からない事は多くはない、と言い切れる自信がある。
「……相変わらず、この絵がお嫌いですね」
好奇心と、心の声が入り混じって、エトナは思わずそんな事をラハールに問うた。
前々から、聞きたいと思っていたのに嘘はない。この際だから、胸につかえるようなこの疑問を解消するのも悪くない。エトナは小悪魔らしいにんまりとした笑みを浮かべながら、ラハールの方にくるりと振り向いて見せた。
「そんなことはない」
案の定帰って来たのは、そんな否定の言葉。
だけれど、それが嘘だというのは手に取るように分かる。だからこそ、エトナは妖艶に体をくねらせながら、顔を近づけて問い詰めて見せた。
「殿下の嘘吐きー。あたし知ってるんですよー?殿下がこの絵のことになると不機嫌になるの」
間近でそんなことを問われて、初めてラハールの表情がぐっと変わる。
緊張と照れが混じったような顔と、紅潮した頬を隠すように、ラハールは声を荒げて叫ぶように言い放った。
「うう、うるさい、うるさい!」
「殿下のケチー。いいじゃないですか減るもんじゃないし」
焦らされれば、答えをより一層知りたくなるのが世の理。下に俯いてしまったラハールの顔を追いかけるように、益々体を捻りながら、エトナはラハールの顔を覗き込む。
が。
それ以上、エトナの追撃が向くことはなかった。
なんだかラハールの様子がおかしい。言葉も発さないまま、わなわなと肩を震わせて。眉間にひどく皺を寄せ、眉はこれでもかと釣りあがり。
更には、八重歯がひょこりと覗く口を開けて、ぎりぎりと強く歯を食い縛っている。
明らかに、怒っている―――。けれど、先程とは全然違う。ボケーッとしていた家臣を叱るようなものなどではない。これは、はらわたが煮えくり返ったような……兎に角、恐ろしい程の強烈な怒り。
流石のエトナも、これにはやばい、まずったか、と口をヒクッと歪めて焦り出す。
「……で、殿下…?」
「お前のっ…お前のせいではないか!!」
「は?」
いきなり、『自分のせい』などと言われて、一体なんでなのかという疑問で、エトナはぽかんと目を点にしたまま動けなくなった。
困惑するエトナを他所に、怒り狂ったラハールは、なんといきなり肖像画にわっしと掴みかかり、馬鹿力で無理矢理壁から外し、上の額縁を、手の向きを交互にして、爪が食い込むほどに思いっきり掴んだ。



「ぬおおおおぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!!!」



びりびりびりびりっ!!!



「はあ――――ッッ?!」
そして、何をするかと思えば、ラハールはいきなり、肖像画を額縁こと真っ二つに破ってしまった。
「な、な、なーっ?!何してるんですか殿下ぁぁ?!!」
「うるさいうるさい!!お前が悪いのだ!!」
エトナが必死で止めようとするが、ラハールはそんな言い分を叫び、全くエトナの制止など聴く耳持たず。その間にも、肖像画は無残に四つ六つ八つとビリビリ破かれていき、最後には塵の山のような有様になってしまった。
あわわわ、と口元を押さえながらエトナは塵カスを見下ろす。既に肖像画の面影などは何処にも無い。こうなってしまっては、もう修復も効くまい、と目の前で巻き起こった最悪の事態にエトナはただ立ち竦んだ。
と、肖像画を破り終えたラハールが、ぜいぜいと荒い呼吸をしながら、塵カスの山の上に聳え立っている。
漸く怒りが収まったのかどうかは分からないが、とりあえず何か言わなければ…、とエトナは恐る恐るラハールに向かって言う。
「で…殿下、流石にコレはやばいんじゃ……」
ラハールは応えない。相変わらず顔を俯かせたまま佇んでいるだけ。
「殿下〜……」
もう一度、そう呼びかけた所で、漸くラハールは重い口を開き、喉の奥から搾り出すように叫んだ。



「お前が……、俺様と、あのクソオヤジを比べるから悪いのだ!!俺様の影に、あのクソオヤジを重ねてみているから悪いのだ!!」



「……え」
「今の魔王はこの俺様、ラハール様だ!!だというのに、お前は、いつまでもいつまでも俺様とあのクソオヤジと比べ、オヤジのようになれと五月蝿く言うではないか!!俺様は俺様だ!!そしてお前は、確かに昔はオヤジの家来であったが、今はまぎれもなく、このラハール様の家来だ!!だから、あのオヤジを想い、オヤジの面影を追い続けるのもいい加減にしろ!!」
そう早口で叫び、再びぜいぜいとラハールは息を切らす。あまりに早くたくさん喋りすぎたせいか、やや酸欠ぎみに荒い息をし、額に僅かに汗を滲ませている。
必死なラハールの様子を、暫く無言で見下ろして……いきなり、ぷっ、とエトナはおもむろに噴出した。
「ぷっ……ぷっ、あはははははははははは!!!」
「?! わ、笑うな!俺様は真剣に…」
「わ、分かってます、分かってますって。ただつい…その、殿下が面白くて…」
真面目に言ったのに、噴出され更には面白いなどと言われて、流石にラハールが怒らない筈もなく。忌々しくエトナの名を呼びながら、頭の二本の触覚を逆立てようとするところで、エトナがどうどうとラハールを止めた。
「まあまあ…つーか、殿下、それって、アレ…ですよね?」
「アレ?なんだそれは?」
いきなり曖昧にそう言われて、意味など分かる筈もなく、ラハールは素っ頓狂にそう返す。
すると、いきなりエトナは、ニヤリと不敵に微笑んで、ラハールににじり寄った。
「だからぁ、もしかして殿下、嫉妬…とかしちゃってたりしてたんでしょー?」
「ぶっ?!」
いきなり想定外の言葉をストレートに言われて、ラハールは思いっきり噴出した。
「おっ、おっ、俺様が嫉妬おおお?!ばっ、そんなことあるわけなかろう!!」
「まったまた〜。アレでしょ、殿下、つまりはあたしが魔王様のことまだ引き摺ってるって思ったんでしょ〜?だったられっきとしたジェラスィじゃないですか〜」
「ち、違ーう!違うったら違ーうっっ!!」
必死になって否定するラハールの顔は、すっかり興奮と照れで真っ赤に染まっている。ラハールが否定の意思表示にぶんぶんと何度も首を横に振るたびに、頭の触覚がぴよんぴよんと空でリズミカルに踊る。
先程の、悪寒さえ感じさせた怒りなど時既になく。すっかり歳相応?のウブさ全開のラハールを見て、エトナはクスッと一度微笑みながら、そっとラハールの首に腕を回して抱きついた。
「ったく、も〜っ…殿下ったらかーわいいんだからv」
「かっ、かわっ…?!え、エ〜ト〜ナ〜〜〜!!!」
可愛いだなんて言葉は、俺様至上主義魔王ラハールにとっては禁止ワードスレスレ的に嫌な言葉。更には魔王に可愛いだなんて、情けないったらありゃしない。案の定くわっと怒り出したラハールを、暴れないようにしっかり抱きついたままで、エトナはそっと耳元に顔を近づける。



大丈夫ですよ、殿下。
あたしの仕える悪魔なんて、きっと、これから先もずっと、殿下だけですから。



そうひっそり呟いてやると、既に真っ赤に染まりあがっていたラハールの顔が、更に一層紅潮して、今にも湯気立ちそうなほどに熱くなった。
そんなラハールの様子を見て、やっぱり可愛いですね、とエトナは心の中だけで呟いて。抵抗を止めて、大人しく抱きしめられているラハールに頬を摺り寄せながら、もう一度にんまりと不敵に微笑んでみせたという。





その後。
「…………ら、ラハール……これは、幾らなんでも酷すぎではないですか…?」
息子の様子を見に来ようと忍び込んだ中ボスが、自分の、びりびりに破かれて、見る影すらない無残な肖像画の跡を目撃して、一人ひどく落ち込んで哀しんでいたらしい。










あとがき。
初、ラハエト小説です!
アンケートでラハエトに沢山票を入れて頂いたり、小説を希望するコメントを頂いたりと、前々からこの二人の小説は結構期待されておりましたので、やっと描く事が出来てちょっとホッとしてます。
ラハエトは独特の二人の雰囲気みたいなのがあるんで、イメージが壊れないかとドキドキしながら執筆させて頂きました。因みに、タイトルがちょっとシリアス?気な感じですが、深い意味はないので(笑)ラハエトの関係が蜘蛛の糸っぽいなあと主観的に感じただけだったりします。
ここまで読んで下さって有難うございました。お楽しみ頂けたら幸いです。



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