ワードオブペイン 前編



「ジェイド。あの子、名をなんといった?」
「あの子……アニスのことですか、陛下」
珍しくもあの陛下が何か問いただしたと思えば、それは災厄の始まりとも言わんばかりのもので。
「そうそう、アニスだったか……その子を俺の嫁にしたいのだが、どうだ?」
…一瞬で、体が鉛の様に硬直した。






ードイン 前編






ここは帝都グランコクマ。旅の中で暫く戦い詰めで疲労たまった疲労を癒そうと、このグランコクマの王ピオニーの元へとやって来た。他にも休息として選べる場は多々あったものの、王の親友として名高いジェイド・カーティスにピオニーが何か言いたいことがあるだとかで此処に来る事になったのだが。
念入りに人払いされたピオニーの私室にジェイドは呼ばれ、王の飼うブウサギの鳴き声が四方八方から聴こえる小五月蝿い部屋の中、即刻雷鳴の如く言われたのが、このいきなりの『嫁取り宣言』。
しかも相手は地位的に一番可能性のあったキムラスカ王女ナタリアでもなく、あの導師守護役の少女、アニス・タトリン。
漸く初恋の相手である自分の妹をすっぱり諦めたのかと思えば、それがまた最悪の発言で、ジェイドは無言のまま頭をぐるぐると回転させた。この場合どうすればいいのかと、そんな苦悩を全面に浮かべながら。
「――陛下、何バカな事を考えているのですか…」
「誰がバカだ。俺は本気だぞ」
漸く発した筈の言葉も、あっさりと追い討ちの様に消し上げられる。
「しかし……特に地位の持たない者と添い遂げるなどと」
「構わん」
「しかもあの性格も筋金入りの腹黒で」
「いや、子供らしく純真な所もあるし、玉の輿を狙っているのであれば、彼女も文句無しの待遇だろう」
元々この人に勝てるとは思っていなかったが、今回は話題が悪すぎる。 なんとかして阻止せねば、と思うものの、いつもなら即決して出るはずの答えが一行に導き出せない。
「……陛下。その事はまだ内密に…」
「いや、さっきルーク達にもうすぐ来るよう伝えたからな。すぐ皆にバラす」
「陛下?!」
ピオニーがそう言った瞬間、あの冷血漢のジェイドが珍しくも取り乱したので、いかにも面白いといった風にピオニーはニヤリと微笑んだ。さて、次はどう煽るか…と目論みを考えながら。
しかしそこでふいにドアがコンコンとノックされた。
「あのー、陛下、俺ですけど…」
「ルークか。皆も連れてきているな?入れ」
ジェイドがドアを凝視しながら慌てたが、いつの間にか足元にいるブウサギが邪魔をして動けない。そのままドアが開かれ、ルーク達が部屋の中に入ってくる。勿論、彼女――アニスも居た。
「お前らに言いたい事があってな」
「――陛下、本気ですか?!」
「黙れジェイド。くどいぞ」
珍しくも取り乱し落ち着きの無い声をジェイドがあげているのにルーク達は何事かと思ったが、ピオニーが即刻ジェイドが黙らすと、ルーク達の方に振り返って言う。
「実はな…」
「―――――ッ!!」
ジェイドが唇を噛み締めながら呻きにも似た声を小さくあげたが、ピオニーのいつもより大きめな、トーンの張った声でかき消されてそれはほぼ全く聴こえなかった。






「きゃう〜ん♪ま、ま、まさかこのアニスちゃんが本当に玉の輿になれちゃうなんて〜♪」
案の定皆にピオニーにあのことをバラされ、ルーク達はなんだか信じられないと口々に呟き、当のアニスは来るとは思わなかった絶好の機会に酔いしれている。…ジェイドは一人部屋の隅の椅子に腰掛け、足を組み、悩ましげに俯いていた。
(………まさか陛下が本気でやるとは…確かに惑星譜術の触媒を集めていた際に『あと七年経ったら正式なお付き合いをしよう』などとふざけたことを言っていましたが…あれが本気だったとでも言うべきなのか…?)
悩みは尽きず、記憶の隅から隅まで手繰り寄せ考えを凝らすものの、やはり決定打は見つからない。
一番有力なのはピオニーが冗談を言っているということで、あの性格なのだし無理はないのだが、珍しくも押し切ったあの姿勢には疑問がふつふつと残っている。
「はれぇぇ?大佐、何むずかしそーな顔してるんですかぁ?」
「…ッ?!」
我に返ると、すぐ目の前にアニスの顔がある事に気付き、咄嗟にバッと後ろに体を移動させ離れる。ジェイドの行動にアニスも、はたまたルーク達も皆驚いたのか、視線が一気にジェイドのもとへ集中した。
「た、大佐…なんだか大佐らしくないんですけど…。どうしたんですかぁ?」
アニスがそう言うので、賛同したようにルークやティアやナタリアが頷く。ガイが立ち上がり数歩此方に寄ると、ジェイドの表情を窺いながら言う。
「らしくないな、ジェイドがそんなに切羽詰まった顔してるのは」
途端、ジェイドがサッと顔を逸らし立ち上がった。
「………なんでもありません。少し、失礼します」
後ろでルークやアニスの心配そうな、はたまた呼び止めるような声が聴こえたが、無視して部屋から出て行った。






「……本当に、らしくない……ですね」
一人あてもなく宮殿内を彷徨っていると、いつの間にか見張りの兵士も誰もいない場に辿り着いて、気配がないのに安心したか、足を止めた。ふう、と一つ溜息をついていつの間にか目の前に垂れた前髪を鬱陶しげに掻き揚げる。手をその状態のまま、ふっと冷静を取り戻すと、頭にあの言葉が思い浮かんだ。
――…切羽詰まっている……
先程ガイに言われた言葉が、貼り付いた様に離れない。いつも普段から冷静を保っているつもりが、柄にもなく取り乱した、とでも?………そんな感情を表すような顔をしていたのかと思うと、なんだかとても苛立たしげな気分になった。
どうしてこんなに自分が苛立っているのか…陛下が平民との婚礼を望んでいること、そんな単純なものであれば楽なのに。それとは全く違う『何か』が、脳内を浸食してならない。そしてその『何か』の正体が少なからず分かっていること、しかしそれを受け入れたくはないということ。それが、自分を苛立たせているのだと痛いほどに理解している。
「………まさか、そんな筈は…」
「何が『そんな筈は』なんだ?」
いきなり背後から声が聴こえて、バッと振り向く。そこにいたのは、まぎれもなくこの事の発端であるピオニーそのもの。異様にご機嫌そうな表情でジェイドを見つめている。
先程のアニスといいピオニーといい、軍人である筈の自分が接近してくる気配に気付けないなどと、不覚をとってばかりな事を少なからず悔いた。
「…陛下。何の用ですか」
「そんな無粋になるな、ジェイド。ただお前の意見を聞きに来ただけだ」
「意見…ですか。そんなこと、聞かずとも分かっているのでは?陛下」
ジェイドがぶしつけにそう言うと、ピオニーはいきなりはははっ、と笑い出した。
「そうだな、そう…確かにお前の考えてることぐらい容易に分かるさ。しかし、それはお前の口から聞かなければ意味はないことだ」
「………何も言う事などありません」
「本当にそうか?言う事がないのではなくて言えないんじゃないのか?…もしくはお前がそれを認めたくないかだな」
「―――失礼します」
フイッ、とピオニーに背を向けるとジェイドは早足で立ち去っていく。ジェイドを追わないままその背を見送り、彼の足音も消え失せ静寂が訪れた頃、ピオニーは一人呟いた。
「………ただ、率直に言えばいいだけだろ、ジェイド。お前はいつまでも素直じゃないな…」
静かに目を伏せると、ピオニーもまたその場から立ち去った。






一人になれる場を求めるまま、ジェイドは自らの執務室へと辿り着いた。冷たい椅子に腰掛け、机に頬杖をつきながら溜息を吐く。とりあえず今は静かに心情を整理したい、と思った。
が、そう言う訳にもいかなそうだ…とすぐ分かった。
コンコン、と執務室のドアがノックされたからだ。此方へ気配と足音が真っ直ぐ近づいてくることを感知していたので。
「……入りなさい」
ドアを見ないまま、そう素っ気なく言う。先程皆といた時、随分と慌しい行動をとってしまったので、恐らくそれを問いただしにルークやガイあたりが来たのだろう…と思っていたが。「失礼します」と丁寧な言葉が耳に響いた瞬間、その仮定は撤回された。
「………アニス」
目線を下げて、漸く彼女の姿をとらえる事が出来た。数秒置いて立ち上がり部屋に招き入れると、椅子に座らせ、その向かいの椅子に自分も座る。ふと、アニスの表情を窺った。その表情は、先程『玉の輿になれる!』といかにも上機嫌だったものではなく、此方を心配している、という考えがそれだけで分かるほどのものだった。
無言のままでいると、不意にアニスが顔を上げてジェイドに言った。
「大佐……私、何か大佐の気に障ることしちゃいましたか?」
ああ、つまりは気にしているのだ…先程、彼女が声をかけた瞬間に、つい避けてしまったから。
これ以上気に掛けさせてはいけない、と思い、無理に口元に僅かな笑みを作ると、いつものような穏やかな表情で言った。
「いえ。…貴女は何もしていませんよ。問題は私ですから」
「でも、私が陛下に言われた時から、大佐の様子がおかしいですし」
「そんなことはないですよ」
「絶対そうです!」
すぐピシャリと否定され、ジェイドは言葉につまった。
これを気にアニスも押し黙ってしまい、暫くの静寂が流れる。そして、ふとアニスが俯いたまま呟いた。



「………大佐は、私がピオニー陛下と一緒になるかもしれないことが嫌ですか?」



耳を、疑った。
まさか彼女から聞くとは思えない言葉が響いた事を、錯覚ではないかと思った。……答えを、考える。あまり間を空けすぎては、何かを悟られる。必死で答えを探すものの、精神とは反対にただ喉が詰まったように声は出なかった。
「さあ……」
「はぐらかさないで下さいよう」
グッ、と喉の奥を締め付ける。答えは一行に浮かばない。体温が焦りで上昇し、嫌な汗が、自らの長髪で覆われた首筋の裏を這った。間を埋めるように両手で膝の上に肱を突き顎を支えた。同時に屈むことで俯くような状態になったことが僅かに好都合だった。
「……私になんと言って貰えれば満足なのですか?」
「そ、それは…」
その質問返しは、ほぼ自らの答えを強引にはぐらかしたことを教えてしまったようなものだっただろうか。しかし、柄にもなく焦りで考えがまとまらないのは確かなる事実だった。
「…………アニス。皆の所に戻りなさい」
「大佐は…?」
「私は今日は戻りません。やらねばならない書類もありますし」
「今は休息中なんですから、そんなのやらなくても……」
「……アニス!」
ハッと、言ってから後悔した。声を無意識に張上げてしまった。アニスの方を垣間見れば、やはり、驚いたような、もしくは怒られたのかと恐怖を浮かべた表情をしていた。
………これでは八つ当たりだ。
咄嗟になんとかせねば、と彼女の頭を撫でようと手を伸ばす。が、髪に僅かに指先が触れた瞬間、アニスは目を固く閉じて、ビクッと身を震わせた。……唇を噛み締めると、静かに手を引き、立ち上がった。
「……大佐」
「アニス。……戻りなさい」
アニスは躊躇ったが――静かに立ち上がると、部屋を出て行った。 一人になった頃、鬱陶しげに眼鏡を外し机にガシャッ!と投げつけ、拳を乱暴に机にぶつける。



(…………らしくない。らしくない…この想いは…一体、なんだというのか…)



ランプがつかないまま薄暗くなっていく部屋の中で、床に落ちた眼鏡のレンズが静かに、僅かな光を煌かせていた。










>>後編に続く


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