その日、しいなは不機嫌だった。 いや、傍から見ればそう思えるだけなのかもしれなかったが、非常に顔立ちの良いその顔を歪め、眉間にしわを寄せ、なんとも機嫌悪そうな表情をしながら、ずんずんと歩いていた。 そんな様子のしいなが向かって来れば、流石にどんな人だろうがサッと避けたくなる。しいなが避ける素振りを見せずとも、向こうから勝手に道を開けてくれた。その開いた道を、ひたすらにしいなは歩く。深紅よりも幾分深みのある赤い瞳をぎらつかせながら、ただ一つの信念を携えて、『目的』に向かって突進しているかのようにも見えた。 そこでふと、しいなの目に見慣れた女性の姿が映る。 「リフィル!」 「あら。……しいな」 しいなにそう呼ばれた女性―――リフィルは、その形相をものともせず、しいなと向かい合った。なんとも肝の据わった性格をしている。 「あのアホ神子を見なかったかい?」 いきなり、唐突にしいなはそう問うた。アホ神子。しいながつけたその汚名(?)を記す人物をリフィルは容易に理解して、静かな表情をしてしいなに答えた。 「ゼロスならまだ部屋で寝ていると思うわ」 「そう…ありがと、リフィル。……………覚悟しときな、あのアホゼロス……!」 未だベッドの中でぬくぬくと毛布に包まれて眠るゼロスは、その異常なまでの恐ろしさを醸し出す、しいながやって来ることにまだ気付いていなかった。 桜花爛満 心地よい風が吹いている。カーテンがふわりと揺れ、涼しい風が、ゼロスの眠る部屋に入り込み、鼻先を掠めた。ベッドの上に無造作に放り出された腕が、この風のせいでいつの間にかひんやりとしており、しかし、布団の中に留まっている体はというとぬくぬくと暖かい。そんな不思議で、なのに妙に心地よい感覚に、ゼロスは尚も眠りの世界に落ちていた。 怒りのオーラを纏わせた、しいながやって来るまでは。 「ゼロスー!いい加減起きな――っ!!」 バターン!と乱暴にドアが開け放たれたかと思えば、ずかずかと無遠慮にしいなが部屋に入り込んでくる。未だ往生際悪く眠り続けているゼロスを起こすべく、しいなはゼロスに近寄ると、まず最初に頭を引っ叩く。 「んん…?」 流石に頭に走った衝撃でゼロスは目を開けるが、焦点が合わさっていない。朦朧とした意識はまた、睡魔に襲われて再び瞼を閉じてしまった。 そんなゼロスの様子に痺れを切らしてか、しいなはいきなりゼロスの眠るベッドの上に跨り、思いっきりその両の頬をちねった。 「起〜き〜ろ〜〜〜〜〜!」 「ひぎっ、ちょ、しいなちゃ、やめ…ぎ、いっ、いで―――ッッ!!」 ゼロス、悶絶。 ここで起きなければこの後更なる追い討ちが身に振りかかるのを察知して、ゼロスは素直に起き上がった。 「いってぇ…しいなちゃん、もちょっと優しく起こしてくれないの?」 「うっさい。アホ神子の目覚ましなんかこれで十分だよ」 「しいな酷いぜ〜。俺様はこれでも結構デリケートなん……?!」 目を開けたゼロスの目の前に、しいなが自分の上に跨っているせいで、予想以上に近いしいなの顔が映った。ほんの数センチ。それだけの距離で、重なってしまえそうなくらいの。朝っぱらからこんな至近距離に彼女がいることに今更気付き、ゼロスは柄にもなく慌てだす。 「し、しいな、何やってんだよお前っ」 「あんたが起きないからじゃないか」 「…そりゃそうだけどさ」 なんだか腑に落ちなくて、ゼロスは俯きながら自身の赤髪を掻いた。 「それよりも、早く支度しなよ」 いきなりしいなが立ち上がり、そんな事を言い出すので、ゼロスはきょとんとした。 「は?なんで?」 「あんた…………寝坊した挙句、忘れちまってるのかい?!昨日、今日一緒に買出しに行くように託けておいたじゃないか!」 「………………………………あ。」 しいなは怒りなどもとうに忘れて、呆れかえった溜息をついた。 あれから、速攻で支度をしたゼロスをしいなが引き連れるような形で、二人は町に買出しにへと繰り出した。 既に幾つかの買い物を終え、買うものをまとめたメモを持ちながら、いやに身軽そうなしいなが先頭を歩いている。メモ用紙にはぽつぽつとチェックマークが入れられていた。そんなしいなの後ろには、今まで買った荷物を全部持たされて、重みに耐えながら必死で着いて行っているゼロスの姿があった。 「し、しいな…………ちょっと待っ…」 「ったく、神子様は随分と軟弱者だね。そのくらいの荷物もまともに運べないのかい?」 「つか、まだ怒ってるだろ」 「怒ってないよ。寝坊した上に約束を忘れた罰さ」 「………へいへい」 しいなの言い分はもっともな上、何分既にふたつも失態を抱える身、言い訳も出来ずにゼロスは重い足取りで再び歩き出した。 日も傾きかけた頃、ようやく買い物を終えた二人は、大量の荷物を持ってひとまず町の公園で一休みすることにした。 ベンチに腰掛け、ゼロスは疲れて限界の体をめいいっぱい伸ばしながら、背を反った。慣れない重い荷物を長時間持ったおかげで、関節の節々が軋んでいる。宿に戻るまでまたこれを持たなければいけないことに少し嫌悪を感じたが、今は素直に一休みすることにした。 「あ゛〜〜〜〜………マジ疲れたぜおい…神子にこんな仕事やらせるなっての」 「まあまあ。アンタも実際ここまで持ってくれてたしね、やれば出来るじゃないか。ひとまずはお疲れさん」 しいなは、穏やかな表情でそう言いながら、ゼロスの頬にぴたりと紙コップをつけた。ひんやりとした感覚に、思わずゼロスがビクリと驚くと、しいなはクスクスと笑い始めた。 「ははは。ホラこれ、飲みなよ。あたしの奢りだからさ」 「………サンキュー」 ぐったりとして動かない腕を伸ばし、しいなからコップを受け取った。 そしてしいなもまた、ベンチに座る。ゼロスの横に座ったしいなは、ふと上を見上げる。そうすると、ふわり、と花弁が舞い落ちてきた。 「……桜の花弁?」 しいなの呟きに気付き、ゼロスもまた上を見上げると、そこには花弁が風に揺られて飛んで行く様と、まだくっ付いたまま、美しく彩りを飾っている桜の木があった。ベンチの真後ろに、桜の木が生えていたのだ。風が吹くたびに、枝ごと揺られて少しずつ花弁が散っていく様が、なんだかとても心を静かにさせた。 この神子様が買い物の荷物持ちをするだけでもらしくないのに。こうして空に目を留めて、桜の散っていく様を見るだなんて、もっとらしくないな。そう、ゼロスは心の中で思って、すぐに考えるのを止めた。 「なぁしいな」 「なんだい?」 「こうして桜見てるとさ、なんか、まるで花見してるみたいだよな」 「ああ、確かに、そうかもね……って、まさかアンタからそんな言葉が出るとは思わなかったよ」 「俺様もそう思う」 「ぶっは。自分で言うかい?!」 しいなは吹き出すと、笑い出した。なんだかそれにつられてか、ゼロスもまた、僅かに口の端が上がった。 そこで、ふと、しいなは何か気付いたみたいに、ゼロスに近寄った。いきなりの事に、ゼロスは眼を見開く。 「どわ、しいな?!何すっ」 「ちょっとじっとしてなよ」 お構いなしにしいなはゼロスに近寄ると、ゼロスの赤髪に触れる。さら、と風に乗って靡く髪の一本一本を撫でるように梳き、髪の一部に入り込んでいた桜の花弁を見つけると、ぱっと捕まえた。 「ほら、花弁ついてたよ、ゼロス」 「……………花弁かよ…」 「は?何か言った?」 「や、なんでもねぇ」 一人ドキドキしてた自分がバカみたいに思えてきて、再びゼロスは脱力するように項垂れる。そのまま、先程しいなから貰ったコップに入った、冷たい茶を一気に飲み干す。疲れとまだ別の熱で、すっかり乾ききった喉を潤すには十分過ぎるほどだった。 茶を飲んだせいか、冷えて冷静になった頭でよくよく考え直して見ると、なんだか今日は妙に自分が自分らしくないような気がした。なんとなく、上手くいかない。けれど、それがまた心地よいような気がするのも、事実であった。 (多分それもこれも) ゼロスは見上げていた視線を、僅かに横にずらす。 (こいつのせいだ) しいなを見据えて、心の中で呟いた。 そして、本能の成すがままに手を伸ばし、気付かれないようにしいなの背後に回すと、ベンチの背もたれに置いた。 「なあしいな。さっきの花見してるみたいだなーって話だけど」 「? なんだい?」 「どうせなら茶以外にも欲しいよなぁ」 しいなは、少し呆れたような顔をした。 「なんだいなんだい、あんたも『花より団子』みたいだねぇ。全く、貴族のくせに食い意地がはってんだから」 「別にそんなことないぜ。これでも俺様、団子より別な物を希望してるわけだし」 「は、でも食べ物だったらどれも同じ………」 「だから、さ」 減らない口を遮るように、先程回した手をしいなの肩に置き、一気に引き寄せる。一瞬だけ自らのそれで、しいなの桜唇に触れる。すぐ離してしいなの表情を窺うと、いきなりのことに思考回路が追いついていないのか、唖然としていた。 それに追い討ちをかけるかのように、ゼロスは不適に笑いながら呟いた。 「俺様は……『花よりしいな』だな」 「――――ッ!」 今日始めて見たしいなの真っ赤になった慌て顔を見て、こうして彼女の反応を楽しんでいる方が自分はらしいな、と想いながら、ゼロスは満足感に浸りにんまりと微笑んだ。 朝と同じ涼しげな風が吹いて、火照った体を少しずつ冷ましながら、二人の髪を靡かせていた。 あとがき。 112112を踏んで下さった池口鏡華様に捧げる小説です。リクエストは「しいなに振り回されるゼロス」でした。 振り回されるゼロス振り回されるゼロス…と考えて、結局曖昧な感じになっちゃいました。どっちかというと、らしくない、もしくは動揺しているゼロス、っていう感じになっちゃいました。うう、申し訳ないです…! こんな感じに仕上がってしまいましたが、喜んで頂けたら幸いです。 池口鏡華様のみお持ち帰りOKです。リクエスト本当に有難うございました! ブラウザバックでお戻り下さい。 |