いつからだろう、その存在が大きく見えてきたのは。



いつからだろう、それが私の全てになったのは。



…いつから、マーテルの事をこんな風に思うようになったのだろう?






女神






「最初はマーテルの事も鬱陶しかった」
いつだか、ロイド達に告白したその言葉。それはあの頃にまぎれもなく自分が感じていた本心。
――それなのに、その思いは何処へやら…ここにある指輪が、自分の思いの変動を物語っている。
何故鬱陶しい存在が一番大切な存在になったのか…。
いつからこんな風に思ってきたのか…。
ユアンにとっては遠い遠い四千年前の記憶を、ふっと辿っていってみた――。
自分の中にある、あの時の記憶を思い返すために。



………



「私はお前達の理想に賛同した訳ではない。その言葉が本当かどうか、この目で見極めるためだ」
四千年前、ミトス達に加入した私の目的はそれだった。
勿論その時は友好関係がどうとかには全く関係したくなかったから、
このような言葉を毎回のように吐いた事は覚えている。
そのせいか、前々からミトス、クラトスからは少々ながらも批判の声が聞こえてきたものだ。
彼らは私をすでに仲間と思っているらしく、微笑みかけても私が無反応なのが気に食わない。
いや、打ち解けようとしなかった私に怒っていたのだろうか…。
今更確認する事は出来ないが、きっと後者の方だと思った。
…一方、マーテルはと言うと、ミトスのように何かと私に気にかけて話しかけてきたな。



「ユアン、怪我が多いわ…もう少し私達にも頼って、仲間なのだから」
回復役はだいたいがマーテルが勤めていたので、私が怪我する際にはいつも彼女が手当てをしていた。
その度に、このように声をかけられる…ミトスのように私に皆と打ち解けて、と言っている。
それは彼女の願いだったのに、その時の私にはまるでそうとは思えずに居た。
一々、そう言う彼女を鬱陶しいと思い続けていた。



「皆が皆、迫害されない世界を」

「人とエルフと、ハーフエルフが皆仲良く、幸せに暮らせるように」

「皆が…暖かい笑顔に包まれて幸せになれる様に」



その夢の話を何度も聞かされた…その理想を私は賛成しなかった。
そんなのは馬鹿馬鹿しいものにしか過ぎないと決め付けて。
今までの迫害されたハーフエルフの人生を思い返す度、その現実を思い返す度に
「そんなのは有り得ない」
と自分の喉の奥から這い出た言葉が彼女を突き刺した。
「ユアン、でも私は…」
彼女は言い返し私の言葉を撤回しようとする。
何故粘る、何故それは有り得ない事だと分からない…!!
何度も心の中で繰り返して、彼女の意見を耳にしようとしなかった。
…今更思うと、益々不思議になるのだ。それがどうやって、変わってきたのか。



…ああ、あれか…。



……



「何度も言うが、私は君の理想に賛同する気は無い」
彼女が直々に、その日泊まった宿の私の部屋に訪問に来た。
話の内容は私に、勇者一向の理想の納得を承諾してくれるよう…とのことだった。
勿論その気は全くなかったので、さらりと前者のような言葉を返しあしらう。
その言葉を聞いた途端、マーテルは戸惑いの表情を見せ、ふいと下を向いてしまった。
…ふん、と私は皮肉そうに笑ったのを覚えている。
まるで行き場のないようにマーテルはおどおどとしていた。
いつもあのような理想を言う彼女のこのような姿を見ること…今更どうかと思うが、全く持って面白かった。
ふふ、と呟きに似た笑いが自分の喉からこみ上げてくる。
ふははっ、といつでも笑い転げてしまえるのだが、彼女も生憎女性だ…流石にこれ以上は可哀想だろう。
皮肉ばかりが盛り上げてくる。いかに自分が穢れていたのか今更深くに思うほどだ。
「…でも、」
私が笑いを堪えるのに必死になっていた時、いきなりのマーテルの声が私の精神に割って入る。
今更何を言い出すのか、と口の端がくっと上がる。
しかしそれでも果敢に、彼女は私の方に歩み寄り、きっと私を睨み付けた。
「…な、なんだ」
彼女の今までに見た事のない行動に、思わず足がたじ、として後ろに下がる。
「貴方が私達の理想を信じられないのは…痛いほど分かります。
私達ハーフエルフは迫害されてきたから、ハーフエルフを迫害し続けていた者を受け入れる事ほど
貴方にとってつらいものはない…。それは、よく分かっています。
でも、この歴史に終止符を打たなければ、いつまでも私達はこのままなのです。
それをなんとかしたいから、この愛すべき大地に共に足を踏みしめていたいから、私達は戦うのです。
どうか、それを分かって、ユアン…」



…何を言い出すかと思えば。

…なんでそんな事が言える。迫害されて来たものが、何故そのように思える?

なんで、私の心を見透かすような言葉を言える?!



がばりと不自然な音がして。
気が付けば、私はマーテルを押し倒し、その首に手をかけていた。
彼女は私の腕を掴み、焦りにも一瞬の出来事に呆けたようにも見える表情をしていた。
なんにしろ、私が発していた殺気にも似たような目つきに怖がらないものも珍しいと思う。
…恐ろしいと思っていたはず。
このまま、思い切り嫌ってくれれば良かった。
いっその事、頬をひっぱたくでもなんでもして、いくらでも拒絶してくれ。
そうすればきっとこれ以上私に干渉などしないだろう、私に鬱陶しい言葉をかける事などもうしないだろう。
私はいつもの私になれる。

邪魔な感情に左右されずに、余計な言葉もかけられずに。

…それなのに。

私の腕を掴んでいた彼女の手が、するりと床に落ちゆく。
何事か、と彼女の顔を見てみれば、その表情はまるで何も考えていないようだった。
微笑んではいないのに、ましてや苦しそうにも、思ってるようにも見えないのに。
それなのに、何故こんなに彼女の表情は暖かいのだろう…。
ぽつ、とふいに頬から涙が流れた。
それは真下に居る彼女の頬に落ち、更に速度を抑えつつも、すると彼女の頬を駆け抜け、床に落ちていった。
頬に落ちた「モノ」に気が付いて目を開いたマーテルは、目の前の惨状に目を丸くした。
ひくっ、との堪える声さえ漏らさずに。
ただ、目頭からその「モノ」を流すだけのユアンの姿を。
一時は驚きはしたけれど…そっと、マーテルはユアンの涙を指先で優しく拭った。
いつものようにその手はユアンによって払われる事はなかった。
静かに目を閉じて、溢れ出す涙と、それを拭うものに身を任せて。
…首にかけた手を、すると解き放ち…行き場を失った手は胴と共に後ろに落ちる。
すとん、と音がしてユアンは座り込んだ。
それを追うように彼女はユアンの前に座り込み、引き続き真っ直ぐにユアンを見つめ、そして彼を拭う。
…なんでこんな事になっているのか、今更何も分からない…
ただ疑問だけが残るだけ…



…なんで私はマーテルにこんな姿を晒しているのか…

…なんで私は泣いているのか…

悲しいなんてまともに自覚した事はない。

ただ、悔しかった、鬱陶しかった。

私の存在を受け入れようとする事が出来る、者の存在が。

全ての生命の境を無くそうとする者の存在が、有り得ないものをしようとする者が。

…なのに何故なのだろう。

何故、その者の目の前で私はこうしているのか…



「…ユアン」



返事すら返さずに、ただ呆けた視線で彼女を見た。
それに気が付くと、マーテルはほうと微笑む。
…暖かい日が差すように、私の全てを包み込んでしまうように。




…女神のように。




「…すまなかった」
ふと出た私の言葉に、マーテルはさぞ驚いたようだった。
そしてすぐ何を謝っているの、と言うようにふっと微笑み、私の頬を手でなぞる。
「…あんな事を言って、すまなかった」
そう言うと、手の動きをぴたりと止め、静かに私の顔を覗き込む。
「…私達は仲間なのにな」
……その言葉を発した途端に、マーテルは円満の笑みを見せてくれた…



美しい、と思った。

彼女に夢中になった。

その笑顔が、私の全てのように思えてきた…。

本心、まだ私は一行の理想の世界を受け入れたわけではない。

まだ、これから私の心がどう傾いていくのか分からない。

…でも、今これから分かる事は。

…彼女を守りたい、と。

私の手で、何者からも、この笑顔を―――



………



ああ、そう言えばそんな事があったな…とユアンは首をかしげた。
今ではもう考えられないが、今思うとあんな時期があった。
ふう、と一息ついてポケットの指輪を探り出し、視線に入れた。
そして、一言。
「あの頃はすまない、マーテル
…そして、あの頃私を導いてくれた事、感謝する。

…私の女神よ。」



…女神となりしたもうた一時の勇者よ…私を見守り給え…



今はその時だ……



あと、もう少し…待っていてくれ、マーテル………



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