俺には、あなたしかいないんですよ。



わたくしの事を本当に見てるのは、あなただけではありませんの?



―――あなた、しか。





あなたしかいない






かつての戦争が終わり、それを打ち破った軍の一人であったレナックは、終戦後すぐにロストンへと移住された。
勿論彼の異存ではない。彼の主と思われる女性、ここロストンの姫君ラーチェルの意思であった。
「なんで俺がロストンへ移住しなきゃならないんですか」と彼は姫君に訴えていたが、その意思は叶わなかった。
そんなこんなで、ロストンに来てからもう一ヶ月…






「はぁ…のどかですねぇ」
そうして何気もなくレナックが呟いた。
戦争が起きていた頃は、人間の兵士の真っ只中で宝を取りに行かされたり
また時には魔物と言う得体の知れない連中に囲まれながら戦ったりと。
あの時程生きた心地がなかったのはもう人生でないかもしれない。
その時とはまるで正反対の今の日常に、これ以外何を言えば良いのだろうと迷うほど。
しかし、暇を持て余しているのも事実。
何せ主人がロストンのお偉いさんの頂点に立つお方だから、得意の盗賊仕事なんてしたら案の定すぐばれる。
そしたらすぐさま捕まって外を見られたもんだか溜まりゃしない。



ま、それに…あの人の信頼をここで裏切るのも、な…
一応あの人なりに信頼されてるわけだから。



そう考えた所で、耳に聞き慣れた声がぎゃんぎゃんと聞こえてきた。
叫び声にも、愚痴にも聞こえる威容な声だ。
いや、いつもこんな風な声なんだけど…
でも地声はとても美しいものだし、何より何処か気品の感じる声だ。
流石は貴族の生まれだとでも言うべきものか?
そうしているうち、その声がどんどん大きくなると共に、ずんずんと足音が近づいて来た。



「レナーック!!」



…はぁ。来た。



「…なんですか、ラーチェル様」
そう言いながら面倒臭そうにレナックは振り向いた。その振り向いた先には、随分と
機嫌を損ねて、顔に怒りを篭らせているラーチェル姫君の姿があった。
その剣幕にレナックは一瞬、ぎょっ、と顔を強張らせた。
「なんですか?じゃありませんわ!今日はわたくしがお庭の散歩をするので、ついてきなさいと言った筈でしょう?!」
そう叫ばれて、レナックはのんびりと自分の記憶を辿り始めた。
そうすると、朝ラーチェルにそんな風な事を言われ、自分が適当に返事をしたのを思い出した。
「…あ、そうでしたね」
「わたくし、ずっと待ってましたのよ!それなのにあなたが来ないものですから、結局お散歩に行けませんでしたのよ!」
そう言われても…、と思いながらレナックは頭をかいた。
「…あれ?」
たった今思い出した所だが、彼女からいつ散歩をするのか聞いていなかった気がする。
「…ラーチェル様、いつ散歩するのか俺に言いました?」
「…そ、それは…言ってませんわ」
レナックはふっと笑って、それじゃあ駄目ですねとラーチェルにわざとらしく言った。
それを見てラーチェルは恥ずかしそうにも、悔しそうにもとれる表情をした。
「と、とにかく!散歩出来なかったぶん、あなたには付き合って貰いますわよ!」
その途端、レナックははぁ?と顔を引きつらせた。
忘れていた自分も悪いが、詳しく教えてくれなかった姫と言い…これでチャラかと思ったのに。
とっさの考えにしては随分と迷惑な話だと思った…。
「よして下さいよ、ラーチェル様。今からじゃもう日はすぐ暮れるし、もう遅いですって。」
「それじゃ明日ですわ、それでよろしい?」
なんでもってそこまで約束を取り立てたがるのか全く分からない姫様だ…、とレナックは顔をしかめた。
「だいたいですねぇ、ラーチェル様。俺みたいな奴じゃなくて、もっと良い人と一緒に行けばいいでしょう。
護衛役として使うんだったらドズラのおっさんの方が強いわけだし…
俺にそんなにこだわってなんかなくてもいいんですよ?」
レナックはそう言い飛ばした。そうしたら、ラーチェルはうっ、と図星を指されたような声を出した。
…こんな時に珍しく面白い声を出さなくても。
そう思ったけど、とりあえず黙って彼女の返事を待った。
彼女は顔を隠すように下に向けて、何やらぶつぶつと呟きだした。
「…ですもの」
「はい?」
何か呟いた気がするが、最後の方がちょっと聞こえただけで話の内容はよく聞こえない。
「…ない…ですもの」
「いや、だから聞こえませんって。」
そう繰り返し問いて見ると、突然顔をばっと上げてこちらを必死に見つめていた。
その行動に驚き、レナックはおっと、と声を漏らした。
「わたくしについてきて下さるのは…あなただけですもの」
いきなり叫んだ声が、放たれると共に少しずつか細く消えていくのを聞き取って、なんとも罪悪感に包まれた。
その場にへたりとしゃがみこみ、見えないがきっと切なそうな表情をしてるであろう姫君…
そしてついに、彼女は無言になってしまった。…らしくない、と思ってしまった。



「…何言ってるんですか…ラーチェル様」



気が付くと、しゃがみこんだ彼女の頭に手を置いて、慰めていた。
…なんで俺が、この人を慰めてるんだ?
自分に疑問を問いかけながらも、手は彼女の頭を撫でるのを止めなかった。
それに吃驚してか、彼女はカチコチに体を固まらせて、耳が赤くなっているのが分かったほどだ。
撫でるのをしばらく続けていると、ラーチェルはいきなり手をばっと取り押さえ、頭から避けると
まだ赤らみを残す顔で叫びだした。
「こっ…子供扱いしないで下さる?!」
…ぷはっ。
心の中で笑わせて貰いました…ラーチェル様。
第一声のなんとも彼女らしい発言に安堵してしまう。着眼点が天才的に面白い。
「十分に子供だと思いますけどね」
「ど、何処がですの?!」
その変貌振り、わがまま振り、そして…いやもう、ひっくるめて全部が。
そう考えたけど、流石に言うのは止めて「なんでもないです」とじらした。
俺の言った答えになんとも納得していないようだけど、黙っておいた方が得策ですしね。
「ところで…手、離して貰えませんか?」
レナックがそう言うと、ラーチェルははっと気付いてしどろもどろに慌てふためいた。
その仕草にまた笑いを堪えつつも、再び離してくれませんか、と問いかける。
でも、その答えはあっけからんとしたものだった。
「……嫌ですわ」
「はいぃ?」
思わず声が上ずってしまった。ただでさえ身柄拘束されるように移住されたってのに、
自分の手まで自分のものにされちゃ溜まりゃしない。
「ラーチェル様、それはちょっと…」
「…今は」



「今は、わたくしの命をお聞きなさい…」



ラーチェル様からまともに聞いた事のないか細い声で言うもんだから…



…つい、許してしまったのだけれど。



「もういいですわ」
「はいはい」
しばらくしてから、彼の手は自由にされた。それまでの間、彼女の手にしっかりと握られて
身動きが出来ない状態にされていたものだから、体のふしぶしが強張っている。…特に手が。
思わず帰って来た自分の手をさすりそうになったが、それは我慢してとりあえずふぅと息をついた。
大体はただ握られるように扱われていたのだけど、握られていた瞬間、
時たま愛しげに頬に当てられたりした時なんかは、この光景は幻覚じゃないかと目を疑うほどだ。



…まさか、本当に自分には俺しかいないと思ってらっしゃるのかと。



そんな事ないですよ、ラーチェル様。
あんたはこのロストンの民や、マンセル様やドズラのおっさんとかにちゃんと大事にされてますよ。
良い人達じゃないですか。あんたの茶番に大っぴらに付き合って下さる人達だし。
…俺と全然違って、ね。
むしろ、俺が言うべき台詞じゃあないのか、それは。
俺はこのロストンの地じゃ、姫様にドズラのおっさんに使命を預かったマンセル様くらいしか
よく知らない訳だし…。
更に言うと、こんな盗賊くずれの俺に進んで寄ってくるのはラーチェル様くらいですよ。



…やっぱり俺の台詞じゃないか、それは。
俺には、あなたしかいないんですよ。
義理人情でもなく、ただの保護者のようなお守役でもなく。
一応…女性として。



「…ラーチェル様、散歩行きましょうか」
「な、なんですの?先程までは行けないと…」
「気が変わりました」
なんですのそれは、と叫んでるのが聞こえたけど、気が付かないフリをして歩き出した。
顔に考えは出ない筈だけど、こんな事思ってるのにここに居続ける訳にはいかなかった。
……柄にもない、事考えちゃってしまったから。
すたすたと大股で歩くレナックの後を、小走りにラーチェルは追いかけた。
「もう…待ちなさいレナック!わたくしを置いていくなんてして良いと思いますの?!」
そんな風に叫びながら、思わずラーチェルはレナックの手を取った。
「ラーチェル様?!」
「行きますわよレナック!」
今度は引っ張られるように逆になる。これが本当の立場上の場なんだろうけど…
なんとも…何処か、妙に違うような…。
そんな風に思いつつも、レナックはふっと笑みを零して共に走り出す。
必要とした約束を守るために。その影を追うために。
……共に、必要であるために。






「あなたしかいない」それは彼女にとっての思い。
「あなたしかいない」それは彼にとっての今の現状。
例えそれぞれの感じ方は違っても、きっと追い求めているものは同じ。






……私には、
……俺には、






あなたと共にあるのが、一番自分の“求めているもの”だと思うから――




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